日本経済の再生(競争から共生へ:環境負荷の低減)
この21世紀はまさに不確実性社会、行き着く先の見えない長い坂道を競い合いながら登り続け、その先にある深淵の縁に辿り着く。
緩やかに進化してきた文明が、西欧に端を発する産業革命以来、経済成長という名の下に、人類は豊かさを享受し、幾多の戦争や災害を克服しながら、より着実に成長のスピードを速め、この21世紀を迎えた。
景気の山や谷は数限りなくあり、株価指数をみても明らかなように、上昇があれば下降があり、その山谷は小さなものから大きなものまでの繰り返しである。その波動の規模は数週間から数年、数十年、100年、始まりが第一次産業革命とすると1760年頃だから250年、第二次産業革命なら丁度わが国の明治維新頃と重なり144年になる。現在までが上昇局面だとすれば、あとは長い下降局面になることを意味する。
ここに、エコロジカル・フットプリントという指標がある。1990年代初期にカナダのブリティッシュコロンビア大学のウィリアム・リースとマティス・ワケナゲルにより提唱され、人間活動が環境に与える負荷を、資源の再生産および廃棄物の浄化に必要な面積として示した数値であある。通常は、生活を維持するのに必要な一人当たりの陸地および水域の面積として示され、人間がどれほど自然環境に依存しているかを、わかりやすく伝える指標である。
2006年のデータによる調査では、『日本のエコロジカル・フットプリントは1人当り4.1gha(グローバル・ヘクタール)』、となった。地球1個分が持つ資源の生産力・廃棄物の吸収力を全世界人口で割ると、一人当りが保持できるのは1.8gha となる。
この日本の4.1ghaという数値は、地球の一人当りが保持可能量1.8gha の2.3倍にもなる。ちなみにアメリカは9.0gha であるから5倍という計算になる。つまり、世界中の人々が日本人のような暮らしをはじめたら、地球が約2.3個必要となる。
逆の見方をすれば、日本人は現在の物質的消費を2.3分の1に戻し、アメリカは5分の1に戻す必要があるということになる。つまり、常に成長を目指す従来型の経済概念は既に破綻し、新しい価値観が求められる段階に入ったことになる。アメリカン・スタンダードのグローバリゼーションの更なる推進などという選択肢はあり得ない。
それに符合するように、今や先進国の経済成長は鈍化し、新興諸国が世界経済のけん引力となり、先進国はその新興国の成長にあやかりながら経済成長を目指す構図となった。しかし、それも時間の問題で、先進国の勢いが鈍化するとその需要を当て込んだ新興国も調整局面に入らざるを得ない状況に陥ることは火を見るよりも明らかである。
外部からエネルギーを受け取ることなく、仕事を行い続ける「永久機関」は存在しない。それは、経済活動でも同じことであろう。経済が成長をし続けるためには、供給されるべき経済成長のためのエネルギーも増大していかなければならない。仮にそれがガソリンエンジンだとすれば、スロットルを徐々に開き続け回転数を少しずつ上げ続けることに他ならない。こうしたことが続けられれば、回転数はそのエンジンの限界まで行き着き、やがては故障し止まってしまう。機械ならば、より高性能でパフォーマンスの良いものに切り替えれば、一時的な停滞や下降があっても、より加速度的に上昇軌道を取り戻すことは可能だろう。
しかし、それが価値観の変更や大きな犠牲を伴うような変更であれば、容易に収まるものではない。かつての封建領主のように既得権を得て走り続けてきた人々に、我慢や忍耐ばかりでなく、財産の割譲までを迫るようなものである。
アメリカの外交政策を見る限り、アメリカ政府や軍は、新自由主義の旗を掲げてアメリカの富を独占する『1%のアメリカ人と軍需産業や多国籍企業の傭兵』に組み入れられ、その先鋒として危ない橋を渡っているようにしか見えない。政府がそうであれば、国民はその持ち駒としていとも簡単に戦場で使い捨てにされてしまう。国民がそれに気づき政府に立ち向かった時のために、その国内対応は既に固められているという。
したがって、政治家やあらゆるリーダーには現在のこの状況がどのようなものなのかを、予断を交えず適切に判断する能力が求められているのである。しかし、一人の政治家がそれに気付き、反動の狼煙を上げたところで、産・官・学で固められた防御陣を崩すどころか、簡単に抹殺されてしまうだろう。
アメリカン・スタンダードによるグローバル化の限界
市場原理主義や新自由主義が席巻する熾烈な競争社会、それぞれの国が自国の利益を主張し、企業もまた自立してあるいは国の後押しを得て権益確保競争に参加する。まさに弱肉強食の世界である。
あらゆる規制を撤廃し、自由競争を推進してきたアメリカン・スタンダードによるグローバリゼーションやEU(ヨーロッパ地域統合体)の限界が見えてきた。わが国でも、新自由主義の流れを汲む政治家や経済界は、日銀改革や金融立国を経済再生の柱にしようとする時代遅れの考えに固執する人々もいる。
しかし、虚業だけで経済を再生することは不可能である。雇用を生む実業がなければならず、アメリカもようやくそれに気が付き始めた。アメリカがTPPへの関与を決めたのも、世界をアメリカン・スタンダードのルールにとりこみ、国外に市場を求めて国内に雇用を生み出そうとする試みだが、殆どの第2次産業が国外に出て、空洞化している現状では、この目論見が実現する可能性は極めて低いと考えられる。このことに関しては、以下の参照サイトが面白い視点でとらえている。
我が国は乗り遅れることを危惧するよりも、世界一の債権国として、市場原理主義や新自由主義の暴走を押さえながら、世界に類を見ない日本的価値観をもって共生の道を探り、ジャパン・スタンダードとして世界に発信して行かなければならない立ち位置にある。
国及び国民の安全・安心を担保する諸制度やサービス、生態系や地球環境の健全性の保持、人口爆発による水・食糧危機問題などについて、一定の規範が設けられなければならない部分が必ず存在する。ジャパン・スタンダードをその部分に特化しグローバル・スタンダードとしていくことである。
しかし、現政権にはこのような世界を見据えた認識は全くなく、国会に議席を有する全野党、大阪に芽生えた新勢力にもない。
経済対策
健全な経済政策のあり方とは、必要だからと言って国民負担率を上げて公が行うことではなく、国民の可処分所得を増やし、国民の自由な意思そのものが経済を活性化することである。景気対策は『目標へ向かっての適切な誘導』がなければ根本的な対策にはなり得ない。公共投資依存型経済構造と金権政治を排し、未来志向型の改革を断行することが最重要課題であり、今が改革着手の好機である。
経済再生には法人税減税などの大企業頼みの景気浮揚策や海外からの投資促進策ではどうにもならない。政策の要は農業改革と中小企業の活性化で、地域振興ブームを引き起こすことである。
<TPPはアメリカの流儀「パワーゲーム」>
<競争から共生への方向転換こそが、再生への唯一の道>
<日本経済の再生>
<産業用原材料、エネルギー資源、および食糧、自給の道を開け>
<強い農業は地方・地域の活性化で>
<地球環境に配慮した漁業>
<地方の活性化と産業構造改革>
<雇用対策>
<生活コストの削減で新規需要創出>
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