自己の確立(自己管理、自己責任、自己評価)
古来、日本は外国にも羨まれるほどの精神文化を築き、国際社会でも対等な立場を保持していた。恥と美徳を重んじ、知恵と自信に満ちあふれた日本人は何処に行ってしまたのだろうか? 政・官・財界の腐敗はその極に達している。銀行による住専への不良債券の押し付け、収賄、利益供与、それらはすべて犯罪であり、汚職という言葉では済まされない。現在の日本には、その犯罪に厳しく糾弾を迫るどころか、それを適正に裁く法律もない。外国から無理な注文をつけられても黙って従い、日本という看板を背負って頑張れる人がいなくなってしまった。これは単に政治の問題だけではなく、すべてに言えることである。
戦後の日本社会は、『自己の確立』という基本を軽視し、経済優先、ほかはお構いなしという偏った道を歩み続けている。外部から与えられた自由平等の概念も、家庭や教育の場で掘り下げて考えられることもなく、自己責任を伴わない身勝手な解釈になってしまった。結果、日本社会からモラルが消え、子供社会でも陰湿ないじめが横行し、人を死に追いやっても罪の意識がなく、凶悪な少年犯罪も後を断たない。マスコミは、事件を面白可笑しく取り上げたり、人権擁護論者を登場させ、犯罪の被害者よりも加害者の人権をより重視するような発言さえ許している。このような風潮は全く論外である。
日本の危機は金融機関の信用低下による景気低迷などという単純なものではない。すべての日本人がエイリアンによって洗脳され、自滅に向かって強制行進をさせられているようなものである。最優先は、日本人を正気に戻すことである。社会的責任を明確にして、『自己の確立』(自己管理、自己責任、自己評価)を原則に据え、家庭や教育の場だけでなく、社会全体の問題として取り組むことである。
経済戦略会議や経済審議会の答申は、自由競争時代の到来を歓迎し、そのことによって生ずる弱者の保護に言及している。しかし、これは先行する欧米型自由競争社会の模倣に過ぎず、強者の横暴を許す下地があることを認識しているからに他ならない。個の自立や自己責任原則が確立していない日本では、単に、投資家や大企業のリスクを中小下請事業者や消費者に押し付ける都合の良い口実となり、強者の論理ばかりが罷り通る弱肉強食社会となることは避けられない。
バブル崩壊に伴う金融機関の破綻の原因は無計画な投資や経営者の犯罪的行為により、不良債券を隠蔽・粉飾したことにある。企業の情報開示原則の確立と個々の犯罪行為の追求も不十分なまま、公的資金による救済策が取られ、金融再生がうやむやなままになってしまった。そんな中、企業は金融関連のリスク商品や投資、保険など、消費者の選択肢を増やすことが『自己責任原則』の導入であると勘違いしている。消費者の自己責任原則は供給側の徹底的な情報開示と供給責任とがセットにならなければ意味がないことである。
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<教育改革の手始めは大学改革>
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