国民と政党の乖離
現在の野党勢力に、日本の将来に対し、明確な指標を示せる政党はない。ハッキリと政策を打ち出し、国民に真を問い、それを基に行動を取ろうという政党がないのである。かつて、新党ブームを作り出したある政治家は、政治責任を取らない政治家の典型であり、彼の行動はその後のすべての新興勢力に対して、国民が期待よりも先に不信感を抱いてしまう風潮を作り上げてしまった。
二大政党を目指した新進党は最早存在しない。新進党に代わる民主党もエイズ問題での手柄や党名だけでリベラルイメージを作ろうとしても、政策が決まっていないため、ただの野合集団としか思えない。『恒久減税、小さな政府、地方分権、抜本的な社会保障改革、官僚依存型から国民のための政治』をスローガンとして挙げてはいるが中身は全く見えない。手の内を示さず、意味不明なスローガン『プラス指向の政治や富国有徳』に白紙委任を求める自民党よりはましではあっても、信用しようがない。また、民主党は景気後退の元凶となった消費税については、一言も言及していない。それは、税の直間比率是正が世界の趨勢であり、将来の税率改定の道を閉ざしたくないからに他ならない。その意味では自民党と同路線である。党名にしても、民主党と名乗るからには『国民合意形成のための明確なシステムを持っていなければならない。』と考えるのは素人考えだろうか。
第三勢力となりつつある共産党は、国会での論戦だけでなく、市民生活の不都合を訴えると、すぐにも支援の手を差し伸べる庶民や弱者の見方であり、現状分析も鋭く非常に好感がもてる。しかし、公平負担原則や義務と権利のバランスに対してやや偏重がある。投資家や大企業に対する嫌悪感も被害妄想と言えなくもない。それらは犯罪や不正に対するけじめと人権擁護に対する法制度を確立すれば済むことである。また、西欧の社会主義体制が崩壊し、イデオロギーで世界が対立していた時代は終わった現在、今だにイデオロギーを政党の看板にしていることには合点がいかない。
自由党は本質的な構造改革の必要性を唱え、政策で勝負する姿勢には、他にないものを感じないでもないが、自民党との保保連合を組んでの政策運営では、国民には旧自民党の復活イメージが強く、タカ派的強行論理は自民党の反発に合い、再分裂の火種ともなり、自ら不安定要因を作り出している。
公明党は、確実な組織票に守られた保守党である。しかし、その支援組織に対する先入観から、決して無党派層の支持を取付けることは出来ない。また、過半数を確保出来ない政権与党に対し、数合わせを条件に愚にもつかない政策を押通すなど、政権に組みしたり、部分反対したり、社民党同様、存在するだけでも不快である。
既成政党は余りにも不勉強である。国民の意志や要望の把握、現政策の妥当性や対案を実施した場合の評価シミュレーション、ブレーンや研究機関を擁しての政策立案および評価、それら研究成果の国民への周知・提案等を日常的な業務として行ない、国民の支持を得ることが必要である。選挙時だけのポーズとして選挙公約や政策イメージだけをアピールしても、国民への白紙委任の取り付けにしかならないのである。