グローバリゼーションの罠
新自由主義
『グローバリゼーションは、社会的あるいは経済的な関連が、国家や地域などの境界を越えて、地球規模に拡大して様々な変化を引き起こす現象』とされる。
これは大航海時代に起源を発し、珍しい産物の調達や相互の物流に始まり、やがては新大陸の発見、侵略と植民地獲得競争に発展する。産業革命後は二度の世界大戦、その後の米ソ冷戦期、その根底にあるものは産業用原材料、エネルギー資源、食糧、嗜好品などの獲得競争であった。しかし、米ソ冷戦終結後の1990年代に地球規模化したグローバリゼーションは、それに加え市場獲得競争と「ヒト・モノ・カネと情報の国際的な流動化」が含まれるようになった。
グローバリゼーションの功罪
個人の活動範囲や社会環境を見た場合、グローバリゼーションは、全世界の様々な物資・人材・知識・技術が交換・流通されるため、科学や技術、文化などがより発展する可能性がある。また、各個人がそれを享受する可能性がある。その結果、各個人がより幅広い自由(居住場所、労働場所、職種などの決定や観光旅行、娯楽活動等に至るまで)を得る可能性がある。
また、「環境問題や不況・貧困・金融危機などの大きな経済上の問題、人権問題などの解決には、国際的な取り組みが必要であり、グローバリゼーションは、これらに対する関心を高め、各国の協力や問題の解決を促す可能性がある。」とする肯定的な考え方がある。しかし一方では、他国のシステム、特にアメリカのシステムの流入によって、自国のシステムや文化が破壊され、「厳しい競争の中で企業を誘致したり国内産業を育成しようとするため、労働基準や環境基準が緩められ、社会福祉が切り捨てられるようになる。」という厳しい指摘もある。
生産現場では、国際的分業(特化)が進展し、最適の国・場所において生産活動が行われるため、より効率的な、低コストでの生産が可能となり、物の価格が低下して社会が豊かになる。一方で、安い輸入品の増加や多国籍企業の進出などで競争が激化すると、競争に負けた国内産業は衰退し、労働者の賃金の低下や失業がもたらされる。
また、先進諸国においては、嫌われる仕事の代名詞 「危険(きけん)・汚い(きたない)・きつい」 である3K産業、これらの仕事が敬遠される中、グローバリゼーションの進行により入国規制が緩和されると、海外からより高い賃金を求め外国人労働者が自由に入国し、それらの仕事に従事するようになる。その結果として、国内労働者の雇用機会が奪われ、国民の勤労意欲の喪失と生活保護費などの社会保障費の増大がもたらされ、欧州圏にみられるような深刻な人権や人種差別、人種対立などの問題にも発展するおそれがある。
投資活動においても、多くの選択肢から最も良いものを選択することができ、各企業・個人のニーズに応じた効率的な投資が可能となる。一方で、投機資金の短期間での流入・流出によって、為替市場や株式市場が混乱し、経済に悪影響を与える。また、他国からの企業進出や投資家による投資によって、国内で得られた利益が国外へと流出する。
知的財産権分野では、商標登録などでは、伝統的な地名・文化・習慣由来の有効性と優先的対抗力を付与する必要がある一方で、アメリカンスタンダードによる知的財産権の保護は、医療的処置への特許権の付与や医薬品の特許期間の延長など、人命救助やジェネリック医薬品の普及を早めるなどの人道的見地に逆行して企業の利益を優先するものであり、安易に同調できるものではない。
新自由主義的なグローバリゼーションは、先進国の中流階級の没落・貧困化の一方で、発展途上国における中流階級の成長など、世界のあら得る地域において、連鎖的に富裕層をつくりだすと同時に貧困層を増大させ続けることになる。
列強が植民地を支配・略奪し本国に富を蓄積する限りは、世界進出は富国策として有効であった。しかし、現在のグローバリゼーションは、「ヒト・モノ・カネと情報の国際的な流動化」であり、先進国から開発途上国への一方的な流れをつくり、それを享受する企業も多国籍化し、タックスヘイブンを求め本拠地を移転することも可能となる。
結局、新自由主義的なグローバリゼーションは、資本家や多国籍企業、国際舞台で活躍する個人などにとっては大きなメリットをもたらすが、領域や人民を統治する政治的共同体である国家及び人民、特に先進国側から見れば富の喪失でしかない。
アベノミクスでは、『富を創出する。』というが、『富の喪失』とならないことを祈りたい。内需産業を中心とする産業の活性化や農林水産業の抜本的な改革とそれを可能とするための地方の活性化による雇用の創出、中長期的な産業用原材料、エネルギー資源、食糧の自給も視野に置いた国内産業全般の抜本的な構造改革、世界の中の日本の役割を意識した独自産業の創出など、肝心な政策をなおざりにしたままで、輸出産業や最先端産業分野に偏った投資では、国内経済の再生は不可能である。
<金は高みに資本は低みに> ⇒ 全世界的な格差の拡大
グローバリゼーションは、資本の流出を促し、国際分業化を促進することで開発途上国の経済発展に寄与する半面、資本流出側の国内経済の縮小をもたらし、結果的にはアメリカ国内の抗議運動「ウォール街を占拠せよ」 (Occupy Wall Street) にみるような貧富の格差を拡大させ、国富を縮小させる。
欧州ユーロ圏内で起きている域内グローバリゼーションによる経済問題は、経済格差がある国々を政治的統一なしに同一通貨でまとめた無理が一挙に露呈した結果であり、統一国家であれば、財政規律の徹底や地方交付金、社会保障制度などで対応すべき問題である。
グローバリゼーションに乗って限りない発展を続けるためには、限りなくイノベーションを続けなければならない。新自由主義者が言うように「規制を緩和」するだけで、果たして日本の政府やモノづくり企業が「限りないイノベーション」をけん引することができるのか、立ち止まることさえ許されない厳しい世界に国民を放り出すことは、あまりにも無責任ではないのか?