男社会、女社会
動物の世界を見るとその殆どがメス中心の社会である。繁殖・子育てが生涯の最大の事業であり、その中におけるメスの役割が重大な為である。ところが、人間は社会を形成し、文化を持ち、部族間の闘争を始めると、オスとメスの立場が逆転してしまった。古代人間社会においては最高権力を女性が持った社会も見られるが、有史以来変わることなく男社会が続いている。わが国では、戦後は女性に参政権が与えられ、近年では男女雇用均等法が制定されて、女性の権利がようやく俎上に登り始めたばかりである。自由平等社会の先進国であると思われるアメリカは、社会参加も華やかな部分だけが伝えられているが、一般家庭の現状や国会議員数などを見る限り、逆に日本よりも遅れている部分もあり、それほど進んでいる訳ではない。
企業の終身雇用制度は、結婚、出産、育児を担当する女性の雇用を結婚までの腰掛け的な中途半端なものとしてしか認めず、重要な仕事から遠ざけ、補助的な役割しか与えて来なかった。また、女性の側も大多数の人々はそれに甘えて、自分自身の役割や責任についての観念が希薄で、就職を花嫁修行程度にしか考えず、永久就職のための相手探しに専念し、『職場の華』などと言われ、ちやほやされる存在でしかなかったことも事実である。
しかし、全ての女性がそうではない。戦前から男女の別なく、素晴らしい人々は大勢いた。更に戦後は、民主化が進み教育水準も男女平等となり、益々女性の社会参加が進み、官吏や企業の一員、あるいは経営者、文化人、研究者として重要な役割を果たしているが、このような積極的な女性の社会参加は全ての女性に約束されている訳ではない。それを阻む障壁がある。
現代社会における問題の多くは男社会の弊害と言わざるを得ない。企業や一般社会におけるセクシャルハラスメントがクローズアップされているが、これなどは次元の低い問題であり、加害者を社会的に葬るような制度を作れば済むことである。少子化は高齢化社会の到来を促進する最大の要因であるが、この少子化こそ、まさにその典型である。今や、男性が稼ぎ女性が家事や子育てを分担する社会ではない。何故なら、男に老父母を含む三または四世代を扶養できる甲斐性があった時代は過去のものでしかないからである。
標準世帯が住宅を取得して子供の教育資金まで賄うには、夫の収入だけでは足りず、妻の収入に負うところが大きいのである。そのような状況下、離婚が増え結婚を考えない女性が増えてきたが、シングルマザーとして子供を持つことまでを考える人は、ほんの一部である。仕事と出産、子育てを両立させ、子供を立派に育てることは至難のことである。
二十一世紀における少子化や労働力の減少を同時に解決するためには、教育や社会環境を整え、『男性と女性の役割分担が当然』、という男中心社会の固定観念を排除する意識改革と、不平等年金制度の改革、女性の社会進出を容易にするための支援制度、新規事業分野や福祉分野等の雇用の拡大、子育てのリスクを低減するための公共料金や住宅費、教育費等の『生活コストの大幅削減』が必要である。
支援制度としては、出産費用の全額給付、法定の産前産後休暇や育児休暇制度、育児期間中の在宅勤務制度の創設、単身就労者のための特別児童養護施設の設置および職場内保育園の充実等が有効であろう。また、税法上の特例措置も必要である。これらは、政治だけでなく産業界の理解と協力がなくては実現し得ない問題でもある。