税の使途と徴税方法
何もしない政府に代わって、石原都知事が打ち出した新税案は政府や他の地方自治体、企業団体などに大きな波紋を投げかけたが、 外形標準課税は向後の税制改革において必ず採用されるべき徴税方法であり、歓迎されるべきことである。これを契機に国と地方自治体の前向きな役割分担論議になり、地方分権の方向性が決まることを期待する。
しかし税制改革において、予算収支のつじつま合わせに終止し、『税の使途とそれに見合った徴税方法』の論議にならない政治家や専門家の不見識は憂慮すべきことである。それは国民が真に求める国の役割や行政サービスとは何なのか、また国や地方自治体がどのような方法でそれに応えるべきかを明確にした『国民負担原則』を構築しないからである。現在のように、必要そうに見えるもの全てを積み上げ方式で政策に盛り込もうとすれば、予算はいくら有っても足りないし、肝心なことを予算不足で切り捨てる結果ともなる。
税と徴税原則
《直接税》
国が国民の基本的な権利としての生活や経済活動などおける自由、平等、安全、安心の保障および不確実性に対する不安を保障するために支出する費用と、生活や経済行動において社会や環境に与える影響を最小限にするために支出される費用に充当することを原則として、前者を所得比例型、後者を個人については均等負担型、法人にあっては経営規模による外形課税型とし、共通番号カードで管理することで税の公平さは保たれよう。
しかし、現行税制では後者に当たるものがない、存在することで社会や環境へ何等かの関わりをもつことは事実である。子供や扶養されるべき老人を除く全ての国民、赤字黒字に拘わらず全ての法人が何等かの負担をしなければ、環境対策など出来るものではない。石原知事の外形標準課税はこの部分に充当されるべきものである。
《間接税》
権利取得や認証、便益享受、利用行為、対外経済活動等に課税し、行政サービスや社会基盤の整備、社会教育の充実、学術・科学・文化振興、国際協力支援等、わが国の生活基盤を整え、アイデンティティーを確立するために支出される費用に充当することを原則とすべきである。
さらに、運営は独立採算原則の独立法人によるものとし、その使途内容を明確にして公益性や合理性・必然性・事業の効率性、役割分担主体としての是非について、国民の理解を得た上で適正な運用を図ることが必要である。
業種間の所得捕捉率格差の問題 『クロヨン(964)』、『トーゴーサン(1053)』
この場合必ず問題になるのが、いわゆる 『クロヨン(964)』 や 『トーゴーサン(1053)』 といわれる個人事業者とサラリーマンの納税の不公平感がある。これは、個人事業者の課税対象とされるべき所得の内、税務署がどの程度の割合を把握しているかを示す数値(捕捉率)の業種間格差が大きく、給与所得者9割、自営業者6割、農林水産業従事者4割、又は給与所得者10割、自営業者5割、農林水産業者3割などと言われ、給与所得者は源泉徴収されているので漏れはほとんどないが、自営業者などは自己申告なので税務署は把握しきれないとされている点である。
しかし、この業種間の所得捕捉率格差は昭和56年に石弘光氏によって指摘された後、徐々に改善が進んできた。今や事業収入や経費の支出は、裏稼業でない限り零細小売業などを除けば、殆どの場合把握は可能である。個人事業者の所得把握における疑念は、有給家族従業者の勤労報酬として課税最低限以下の報酬を必要経費として計上する様な実に些末な問題に絞られる。これらは、事業規模や従業者としての能力資格等で有給家族従業者の勤労報酬を一定限度内に制限することで解消されよう。
公平性の確保にあたっては、『クロヨン(964)』 や 『トーゴーサン(1053)』 の問題にすり替えず、医院などに適用する概算経費率のような、事業業種による例外を認めず、給与所得者の給与所得控除の見直しを含め、公平な。一貫した税制に統一すべきである。
税の徴税方法 『歳入庁』 と 『共通番号カード』
税と社会保険料を一体的に徴収する「歳入庁」構想がある。国民の所得把握が一元化されなければ、税や社会保険料などの徴収に不公平が生ずるばかりでなく、社会保障その他の給付などセーフティネットを公平に機能させることは出来ない。したがって、機関の名前はどうあれ 『歳入庁』 と 『共通番号カード』 の両制度をセットで導入する必要がある。
現実的な個人の所得捕捉問題は、共通番号制(カード)の導入で、収入面では給与所得や事業所得の他、利子配当所得、不動産所得、パート・アルバイト、日雇い日当の全てにわたり把握は可能である。そこに個人の消費をも把握すれば、全ての経済活動を把握することが可能になる。それをプライバシーの問題としてどこかに一線を引くことで不公平の是正が行き詰まることになる。どこまでやるかは、国民自身の選択によって決めるべきである。