政治は変えられる
20世紀最後の参議院選挙と言われた1998年7月12日の選挙結果を見ても、投票率を十数パーセント上げるだけで日本を変えられることが判った。
国会を機能させられない野党に用はない。私たちは一度獲得した『主権・基本的人権・自由・平等・平和・安全・安心』を後退させることは望まないし、決して後退を許してはならない。今、根本的な改革を必要とする真の理由は、政治家や官僚が大企業や特定の利権者のためにあって、一般国民に多大な負担を押し付け、憲法で保障された私たちの権利を侵害しているからである。
今は二十一世紀への大きな節目にあり、世界の政治や経済、価値観までもが大きく変貌を遂げつつある時である。日本は明治維新以来百年余の間、欧米諸国に追いつけ追いこせで、日本本来の文化やアイデンティティを置き忘れて来てしまった。経済発展のみが唯一の幸せのごとく片寄った妄想に凝り固まり、いろいろなものを犠牲にしてきた。今顕われている諸々の不具合は、その結果である。
戦後の民主主義も欧米諸国から与えられた民主主義であり、民衆が勝ち取ったものではないため、政治の奔流は明治以来全く変わることはなかった。放置されてきた諸問題を全て改革し、真の民主主義を達成するためには明治維新にも勝るパワーが必要となる。しかし、現在の政治家にはその認識やパワーはない。それどころか、旧態の政治に組みし、甘い汁を吸ってきた人々である。そのような人々に改革など出来ようはずがない。
恒久的な繁栄はあり得ない。その時々の社会的環境や価値観の変遷に応じた適切な体制の改革が必要になる。時の為政者にそれを望めなければ、政権の座を明け渡してもらうしかない。政権に固執し衰退を看過するのであれば、革命という手法をとっても政権交代は断行されなければならない。しかし、現代社会では、政権交代において革命に血を流す必要はない。主権は私たち国民にあるのだから選挙で決着をつければ済むことである。
このままでは、私たちはおろか私たちの子や孫の未来もない。今こそ私たち無党派層が立ち上がる時である。そして、その中から行動できる人間を政治の舞台に登場させることである。その上で、政策イメージだけでなく、日本の進むべき方向と普遍的な政治理念、具体的かつ魅力的でバランスのとれた政策を示して国民の信任を得ることである。
2001.1月
上記の指摘から11年。2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙は、保守合同と左右社会党統一による「55年体制」の確立後初めて「政権交代」を実現した1993年の第40回衆議院議員総選挙に次ぐ、16年ぶり2度目の政権選択の選挙となった。
国民は、官僚主導の国民不在政治を黙認する自公政権の無策・無能ぶりにしびれを切らせ、「政治家主導で、無駄を削減し、国民の生活が第一」の政治を実現するという民主党に期待し一票を投じた。投票率も前回の政権選択選挙の67.26%を上回る67.51%(比67.46%)という高水準に復活し、政権交代は実現した。しかしそれは、計らずも「誤った政権選択」となってしまった。