日本人と外国人
日本に永住権を持つ定住外国人の地方参政権問題について、賛否両論を並記している記事を読んで感じたことだが、
賛成論者はグローバル社会の進行に伴い定住外国人が増え、生活、環境などの様々な場面で密接な関わりを持つ地方行政にあっては、自国民と一般外国人という二分法では現実的ギャップを埋められないことから、ヨーロッパ、特にオランダは居住暦5年以上の外国人に地方参政権を与え、EU内ではマーストリヒト条約の批准で、互いの国の定住者が地方参政権を認める方向で動いているなどの例を上げ、地方参政権は居住と結びつき、国政参政権は国籍によって保障されるべきというものである。また、将来的には血統主義に固執する日本の国籍法の改正も考慮する必要があるとしている。
反対論者は憲法15条の『参政権は国民固有の権利』であることから、93条の『住民が地方議員や首長を選ぶ』とあるのは参政権の各論の部分で『住民=国民』であり、日本丸という船に乗ってるとはいえ、責任のない人に舵を委ねれば無駄な摩擦やとんでもない事が起こる可能性もある。地方参政権の論議は人権論者の情的な自己主張と戦争犯罪や朝鮮併合に対する贖罪意識に起因した危険な発想である。外国人の意見を行政に反映させる目的なら市政モニター制度のようなものがあれば十分であるとしている。
この賛否両論は、グローバリズム信奉者の理想論と血統主義者の情的な自己主張ともとれる。確かに、二十一世紀の日本は少子高齢化が進み、労働力不足が危惧されている。また、一方では社会、経済のグローバル化が進みボーダレス時代を迎えつつあるにもかかわらず、政治がそれらの問題に対し有効な対策が取れず経済が縮小し続けるような事になれば、優秀な人材の流出はあっても流入は考えられないことになる。しかし、子育ての心配がなくなり、女性の社会進出と高齢者の雇用が促進されれば労働力の問題は完全になくなるのである。労働力不足を単純労働者の受け入れや移民で解決するような政策は愚作であり、看護士や介護士等の受け入れなどにも一定の制限を設けることが必要である。
日本は島国で単一民族のように語られるが、先史時代には海を介していろいろな所からいろいろな人々が集まり、長い年月をかけて日本人が出来上がったものであり、決して単一民族でないことは最新のDNA科学でも裏付けられている。また、歴史で私たちが知り得る範囲でも、わが国は優秀な頭脳や優秀な技術者を受け入れ帰化を許し、独特の文化を築き上げてきたのである。長い鎖国時代を経て近代化の時代に血統主義的な発想が生まれたに過ぎず、本来の日本人の発想はもっと開かれたものなのではなかろうか。
その意味では単に定住外国人に選挙権を与えるのではなく、日本国籍の取得を容易にし、日本をもっと魅力のある国に造り上げるための運命共同体に参加を求める方向で、広く門戸を解放することが重要なのではなかろうか。