原発事故は起こるべくして起きた
前福島県知事、佐藤栄佐久氏の証言。 『今度の事件は、起こるべくして起きたものである、決して「想定外」ではなかったと、そう思っております。』
実は、
2010年の6月17日に今度とそっくりの事故が福島第一原発の2号機で起きていた。
理由の2は、
日本の原発政策は、地震をずっと軽視してきたということです。「原子力発電は、絶対に必要である。だから、原子力発電は、絶対に安全だということにしないといけない。」 と言う論理が働いている。
東電という会社の隠蔽体質によるものではない。経営者をそっくり入れ替えても結果は変わらない。保安院が経産省に入っているのがいけないという意見もあるがそれを変えても治らない。
日本経済に必要な電力を供給するには、絶対に原発が必要である。燃やしてできるプルトニウムは、貯めすぎると外国から疑われるから、再利用しないといけない。つまり、必要だから必要なんだという理屈。
これは、怖い理屈です。国会議員だろうが、この理屈には立ち向かえません。そしてこれだけ有無を言わさないロジックが出来上がると、リスクをまともに計量しようとする姿勢すら、踏みつぶされてしまうのです。しかも、事実を隠したり、見て見ぬふりをすることが、まるで正義であるかのような、そんな倒錯した価値観までできるのです。
ドイツやフランスは、原発政策を変えるときなど、何年も何年も、議論を尽くします。あらゆる過程に、市民の声が入る工夫をしています。日本の民主主義が試されています。
・・・とも言われています。
原発立地は事故を前提にした計画だったのか?
原子力発電所は、国が安全性を保証した上、国策として建設が進められてきた。過疎化した地方都市に、インフラ整備のための莫大な交付金や補助金と引き換えに敷地提供を求め、核燃料運搬や住宅地からの離れを考慮して、殆どが臨海部に設けられてきた。
しかも、首都圏に電気を供給する原子力発電所は、万一の事態が発生しても首都に災厄が及ばないよう、全てを首都圏から200キロメートル以上離れた供給地外に設置するという政治的な思惑も感じられる。
『原子力発電は絶対安全!』として、警告を無視し続けてきた政府
原発の危険性については国会や経済産業省の審議会などの場で、国会議員や専門の研究者から再三にわたる警告が発せられていた。また、当該福島第一原発に関しても、地元県議団などから東京電力に対し、地震・津波の影響を再点検するよう申し入れがされていた。また、当時の県及び県知事からは2010年の事故を踏まえ、改善要求が出されていたにも拘らず、国も東電も何もせず、邪魔な知事を司法の手で裁きにかけて排除した。
1986年、世界中を震撼させたチェルノブイリ原発の事故は、これまで運転員のミスと暴走しやすい原発の構造が原因とされてきた。しかし、1999年にロシア、ウクライナの両科学アカデミー地球物理研究所の専門家チームが、事故は局所的な直下地震による原子炉の破壊が原因だ、との研究報告を発表している。
リスク管理を怠った結果の『危険領域』をも安全という政府
5/6福島原子力発電所事故対策統合本部が発表した、文部科学省及び米国エネルギー省航空機による、航空機モニタリングの測定結果によって、福島の土壌汚染はチェルノブイリ級になっていることが判明しました。福島 最高300万〜3000万ベクレル/平方メートル、チェルノブイリ 最高148〜380万ベクレル/平方メートル。
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- 文部科学省及び米国エネルギー省による航空機モニタリングの測定結果 (2011.5/6)
- 福島第一原子力発電所の事故に係る1・2・3号機の炉心の状態に関する評価 (2011.6/6)
- ≪ 1・2・3号機各原子炉から大気中に放出された放射性物質の量 (p13表-5) ≫ (2011.6/6)
- 航空機モニタリング結果(土壌濃度マップ)の改訂について (2011.8/30)
- 世界版 SPEEDI(WSPEEDI)を用いたシミュレーション (2011.9/6)
- 福島県西部の航空機モニタリングの測定結果について (2011.9/12)
- 福島第一原発から漏れた放射能の広がり (2011.8/22)
- 広域航空機モニタリング計画について (2011.8/22)
福島県内の学校等の校舎・校庭等の利用判断における暫定的考え方について、従来の1mSvから20mSvに一気に引き上げた件についての政府の説明は全くの嘘である。
菅首相は原子力安全委員会で審議され結論を得たと言っているが、原子力安全委員会のHPでは審議された様子はない。委員会そのものが開催されていない。原子力災害対策本部が作成した文書に、原子力安全委員会の同意文が添えられてはいるが辻褄合わせに過ぎない。更にそれを原子力災害対策本部名で文科省と厚労省に文書を送り、文科省が何の検討もなしに通知文を発行したものと思える。
これは、学校が使えなくなり、大規模な学校疎開に至ることを恐れ、基準そのものを変えて凌ごうとするセコイ菅政権の浅はかな判断であり、子供の健康など全く眼中にない非道な仕打ちである。
トンデモ政権、被爆限度を引き上げ、政府・東電の責任回避
国策の失敗に場当たり的な対応しかできない菅政権、現場は東電任せで、適切な指示もなく肝心なことは全て事実隠蔽、発災直後に炉心溶融の可能性に言及した安全保安院の審議官を更迭し、水素爆発・格納容器破損による放射性物質の拡散予測シミュレーションSPEEDIの資料公開を中止して情報を隠蔽した。
現場で事故鎮圧に取り組むスタッフの放射線被爆限度の基準を、厚労省は3/16、一人当たりの作業時間を延ばすために累積100mSv/年から一気に250mSv/年へ切り上げた。また、福島県内の学校等の校舎・校庭等の利用判断について文科省は4/19、従来の累積1mSv/年から一気に20mSv/年に引き上げた上、子供の健康被害を重く見た郡山市の表土除去作業を、文科大臣が無用の措置として批判した。専門家や市民団体及び子供の父兄は基準引き上げと郡山市の対応を批判した政府と文科省に、安全軽視として猛抗議をしている。
賠償財源を料金値上げで賄う? 原発事故賠償に国民負担などあり得ない
料金値上げで賠償金財源捻出を謀る非道極まりない政府・東電。原発被災者に対する賠償責任は国と東電にある。しかし、賠償金財源を国民が負担するという論理は成立しない。国策の陰で政治家、電力会社、原発施設建設企業が甘い汁を吸い続けてきた。原発の危険性を訴え続けてきたのは国民、過疎地域に雇用と補助金・交付金を餌に取り込みを図ったのは政府と東電、安全と言う嘘に騙された設置同意自治体に責任はない。!
原発事故賠償に原発保有全電力会社から拠出金を求める「新機構」と言う案があるようだが、万一の負担を担保する一種の保険制度という面がある一方では、当事者責任を軽減し、料金値上げの口実にもなりかねない。原発事故は紛れもない現実である。大地は汚染され、住む家も失い、大地の恵み、海の幸まで取り上げられた。この現実を直視した政策ではない。
賠償は事故を惹き起こした会社と政府で責任を負うことだ。親方日の丸で潤ってきた電力会社、国民平均給与を上回る社員、当然に株主の有限責任も。まず、英BPが原油流出後に創設した賠償基金と同様の基金に甘い政府試案の4兆円の倍額8兆円を繰り入れ、会社更生法の申請をする。これが現代版経営者の責任の取り方だ。会社の賠償負担を軽減すれば国民負担が増えるだけのことである。
東電の再生は今後の検討課題とすれば良いだろう。原発事故は政策転換の道標である。広島・長崎の悲劇から学んだ日本人が福島から学べぬはずはない。日本経済への影響を恐れ決断ができないとすれば、経済の語源である「経世済民」を知らない市場原理主義者に他ならない。原発で苦しむ国民がこれだけいるのに!